清水港の擬人化ご当地キャラクター七海波音ですっ⚓
【ぶらっと清水】シリーズ第2段!
一緒にお散歩して色々教えてくださるのはフェルケール博物館の椿原(ちんばら)さんです!
よろしくお願いいたします!
ぶらっと清水について
みなさん、現在エフエムしみずマリンパルにて、毎週木曜日AM10:00〜放送中の
「ぶらっと清水」聞いてますか〜!?
なんとわたしも毎週出演中です!
そして地元清水の方でなくても、サイマルラジオで以下よりリアルタイムで聞けますよ♪
さらに、聞き逃した方もSpotifyにも放送翌日の10:00にアップされますので
こちらのプレイリストからスマホのSpotifyアプリを入れてなくても聞けます!
今日は清水湊と清水港、2つの清水の「みなと」について書いていきます!
上記のプレイリスト第2回〜第3回を聞くと、同じ内容が聞けますよっ♪
新清水駅からお散歩スタート!
静岡鉄道「新清水駅」、静岡市民なら一度くらいは利用したことがありますよね?
最近はヒロアカコラボ(詳しくは「静鉄 ヒロアカ」などで調べてね)もしていて、車両もきれいになっている静鉄さん。
フェルケール博物館まで歩いていきましょう!
ところで前回、お茶を静鉄で運んでいたってことですが、
新清水駅から清水港までってちょっと距離があるような・・・?
早速、椿原さんに聞いてみると・・・
現在は新清水駅が始発駅であり終点駅ですが、昔はもっと先まで伸びていたとのこと!
どこまで静鉄があったかというと・・・
なんとフェルケール博物館前まで!
歩くと結構な距離ですよね!
現在もここまで伸びてくれてればわたしの生活はさらに楽だった・・・!
そしてこのフェルケール博物館前の波止場で、お茶を始め色々な物資を積み込みをしていたってことなんですね〜!
清水港の近代化を顕彰するために「この場所」にフェルケール博物館は建っているのですねっ🐟✨
ところでひとつ気になっていたことが・・・
清水湊と清水港、書き分けるのはなぁぜなぁぜ?
個人的にずっと気になっていたこの「湊」と「港」。
でも「湊」のほうは「みなと」としか読まないので「しみずこう」にはならない・・・
なぜいちいち2つあるんだー!と思っていたので椿原さんに聞いてみました!
昔の清水湊は川みなとだから
実は正解はない!
ですがこう使い分けるとわかりやすいようです。
江戸時代の清水みなとは、巴川を遡った川港だったものの、
明治時代以降は船の大型化もあり、港の位置が川から現在の方に移動。
より大きな港となりました。
ですので、江戸時代の川港の時代の清水港を「湊」、
明治時代以降の大型化した近代港の清水港を「港」として使うことで
いい感じに使い分けられるようです!
次郎長通りに向かって歩いていく!
さぁ、次は私の尊敬する人物の中のひとり「清水次郎長」さんの生家がある
次郎長通りに行きましょ〜!
フェルケール博物館を出て、エスパルス通りを歩いていきます!
ん?
エスパルス通りって・・・
エスパルスが誕生する前の名前は?
ふと気になったのが、清水エスパルスが誕生する前にもこの通りはあったわけで
昔はなんて名前だったのかな?
椿原さんに聞いてみると・・・
以前は「波止場通り」という名前だった!!
江戸時代にはこの周辺には42件の廻船問屋があり、
波止場通りの道を作ってフェルケール博物館前の波止場へ荷物を運んでいたとか・・・!
ここが広い道なのはその名残ということだったんですね〜🐟✨
また新しい清水の知識が入りましたっ!
さぁ、そのまま歩いていきますよ〜!
港橋
次郎長さんの営んだ船宿「末廣」を横目に、港橋へ。
ここを渡って少し歩いて左に行けば次郎長通り商店街です!
そういえばこのあたりが「清水湊」で、42件の廻船問屋も商いをしていたわけですよね。
この港橋の左右どちらが清水湊だったんでしょう?
椿原さんに聞いてみました!
どうやら左右どちらもとのこと✨
江戸時代には石垣が組まれ、船が着くと石垣の階段から荷物を積み下ろしていたんですって。
そんな光景、見てみたいなぁ。
次郎長通りへ
さぁ、肉の福田さんを目印に次郎長通り商店街に入っていきますよ〜!
しばらく歩くと左側に「次郎長生家」が。
こちらは昔のままに残すために2014年「あなたの残したい建物コンテスト」で全国の建物の中から優勝した、最も残したい建物となりました。
書くと長くなってしまうというか1記事書けるボリュームなので
こちらはまた別の機会に!
無料で入れますし、入ってみると昔の家っていうのがわかります!
うなぎの寝床のような細長いお家ですね🐟
ちなみに次郎長さん関連の観光地は他にも「梅蔭寺」「末廣」などあります!
こちらも別記事ですね!
さて、もう一つの次郎長さん縁の場所である「美濃輪稲荷神社」へ歩いていきます!
美濃輪稲荷神社
商店街の中に突然大きな赤い鳥居!
さらに、中には沢山の鳥居が!!
こちらは静岡県下最高位のお稲荷さん、美濃輪稲荷神社です!
京都の伏見稲荷大社さんの御分社として御鎮座されています・・・!🦊✨
清水にいる人みんな知ってました?
こちらの神社は清水港に関わった人や商人・廻船問屋などが玉垣(石の柱)を奉納し、その名前が刻まれています。
清水次郎長さんの本名、山本長五郎の名も、駐車場入口のすぐ右側に・・・!
その他にも、「静岡丸」「三保丸」「清川丸」などの船の名前も!
鈴木与平さんのお名前もありますね〜!🐟✨
この美濃輪稲荷神社には、横浜の博物館の学芸員さんたちも訪れて、横浜にも同様の玉垣があるか調査をしているそうです。
アメリカに直接茶を輸出する前は、一度横浜を経由してましたもんね!
清水と横浜をそれぞれ調べていくことで新たな歴史がわかれば面白いですよね〜✨
ちなみに私はまだ見たことがありませんが、社務所には大変貴重な絵馬があるそうです。
それは明治13年に鈴木与平さんが奉納した、汽船「大宝丸」の絵馬が展示されているとのことです!
この大宝丸はお茶屋漆器、和紙などを横浜に運ぶために使われた蒸気船です。
そしてフェルケール博物館にはその大宝丸の模型があるとのこと!!
早速戻って見てみましょう!
思ってたより15倍位大きな模型・・・!
この船が清水から横浜までお茶などを運んでいたと思いながら見ると、ロマンがありますね〜!
この大きさの船になると、もう川港では無理だから近代港のいまの清水港になっていくわけですね。とてもイメージが湧きやすいです!
当時、お茶は日本の輸出品に置いて、「生糸」につぐ重要な輸出品。
だから清水港はかなり積み下ろしが激しくて、
荷役を24時間行うことをした日本で一番最初の港になったそうです。
私は昔からがんばりや!!
それでは次回もまたぶらっと清水の記事、お楽しみに〜!
これで「清水湊」と「清水港」使い分けと場所がわかりますね!
京都にいかなくても御分社がある美濃輪稲荷神社へも参拝にいきましょう〜!